米国Ph.D.留学に修士号は不要!?−自分の研究テーマを追求して−

馬渕祐太さん

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基本情報

所属(現):Cornell University, Department of Neurobiology and Behavior, Ph.D. Program

最終学位:学士

性別:男

出身地:千葉県柏市

経歴

2017年 北海道大学理学部生物科学科卒業

2017年 Cornell University, Department of Neurobiology and Behavior, Ph.D. Program 入学

 

インタビュー

日本国内の大学の修士課程を修了後にPh.D.留学する学生に比べて、学部卒の直後にPh.D.留学する学生は多くありません。北海道大学理学部生物科学科(生物学)を卒業後すぐにコーネル大学(イサカ,ニューヨーク州)のPh.D.課程に進学した馬渕祐太さんにお話を伺いました。

 

留学に至った経緯を教えてください。

中学生・高校生の頃は周りから言われずとも比較的勉強はする方だった気はしますが、改めて考えると、好きで勉強していたというよりは受験のためにとりあえず勉強していたという感じだったと思います。そうした中でも、生物学の勉強には面白みを感じていました。それはおそらく、小さい頃から漠然と生き物の多様性に興味があり、生物学という学問を学んでいくうちに、多様性がなぜ、どのように生み出されるのかを知りたいと考えるようになったからだと思います。その時は、そうした疑問を明らかにするのに、研究者という道もあるんだなというくらいに考えていて、それから大学受験をして北海道大学に入学しました。

 

受験が終わって、やっと自分の好きなことを突き詰めて勉強できると考えていた私は、札幌での初めての一人暮らしを謳歌しつつ、自分なりに研究者になるためのキャリアパスについて書籍などを通して情報集めを始めました 。そこで海外で博士号を取るという道があることを知り、なんとなく面白いと思いました。 中学生時代にオーストラリアに海外研修に行ったのですが、すごく楽しかったという原体験の記憶があります。もともと受験科目としての英語は得意だったこともあり、海外で研究するのもありだなと思い始めました。調べるうちに、大学院の出願には、例えばGPAや推薦書など、日本の受験にはないプロセスが色々とあり、何から手をつけていいのかわからなかったため、大学1年生のうちは英語の勉強を軽くするくらいの準備しかしていませんでした。

 

そんな中、大学2年生の時に米国大学院学生会主催の海外大学留学説明会が北海道大学でも開催されていることを知り、参加することにしました。その説明会で、当時南カリフォルニア大学に留学されていた生物学系の先輩に具体的な体験談を聞くことができました。例えば、日々の研究生活でどんなことをやっているかということや、アメリカの博士課程では給料をもらいながら研究ができるというような事も知り、ますます海外の博士課程に進み研究する事を目指すようになりました。

 

学校はどのように選択しましたか?

当時は知識が十分ではなかったのですが、アメリカには生物系の研究に強い大学や研究所がたくさんあると本やウェブサイトに載っていたので、そうした情報を信じて、留学先はアメリカがいいと決めていました。

 

最終的に出願先は6校ありました。学科のレベルはもちろん考慮しましたが、それよりも自分のやりたい研究ができそうかどうかを基準にしました。大学3年生の時に生物系の中でも特に神経生物学に興味をもち、4年生の卒業研究でもその分野のラボに所属し、日々の研究や学会発表を通して、本当に自分のやりたい大きな研究テーマは何かという方向性について見つめ直しました。そこで、出願が迫っている時期だったのですが、自分のやりたいテーマは雄と雌の行動の性差であると思い至り、行動の性差の神経メカニズムの研究をしているアメリカのラボに絞って大学を探し始めました。

 

そのテーマ、あるいはそれに付随した研究ができるラボが2つ以上ある事を最低条件として探した結果、最終的に6校に絞られました。というのも、アメリカの生物系の博士課程では1年目に複数のラボのローテーションを行ってから所属ラボを決めるので、本命のラボが1つしかなかった場合、そこに入れなかったりそこの先生と合わなかったりすると悲惨なので、そのように選びました。

 

出願して実際に受かった複数の大学の中からコーネル大学を選んだのですが、その理由はいくつかあります。一つ目は出願時にコンタクトをとった興味のあるラボの先生が丁寧にやりとりをしてくれたことです。これから長い研究生活を一緒に送っていけるかどうかということは大事だと考えていたので、実際に会って話してみても凄い良い人達だったことは大きかったです。二つ目はVisiting Weekendという書類審査を受かった候補者(出願者150人中10−15人ほどに絞られた)が実際に大学に呼ばれてインタビューを受けるイベントがあるのですが、そこでコーネル大学神経科学部門では魅力的な研究をされている色々な先生たちがいるという事を、実際にお話をする中で知ることができた事です。三つ目は自分が入学する最初の年に、神経科学科と工学部が連携して、NeuroTechという神経科学分野の研究に必要な技術開発や応用を目指す部門が設立されたことで、分野横断的な研究ができるという強みがあった事です。

 

留学するにあたり、何が大変で、どうやって克服したのかを教えてください。

留学前に一番大変だった事は、日本の大学での卒業研究と留学準備との両立でした。留学の準備にも、書類作成や入学のためのGRE(Graduate Record Examination)という統一試験や英語の試験であるTOEFLの勉強など色々とやることが多く、マルチタスクの処理能力が求められました。GREは北海道では開催されず、東京まで行かなければならないなど、立地の不便さを感じることもありました。

 

卒業研究については、それ自体をクリアするのが大変だったというよりは、(実現しませんでしたが)卒業するまでに論文を1本書いておきたいという思いが自分にあったために日々体力勝負な状況でした。3年生からラボに出入りして実験の基礎を固めて、4年生でもそこでお世話になったラボで卒業研究に取り組みました。そのラボの先生がとても協力的で、4年生のうちから学会発表をする機会もいただきました。しかし、その学会発表も準備が大変で、出願先候補のアメリカの大学を訪問する直前に東京で発表があり、発表の前後で訪問先の先生たちとやりとりをするという状況でした。

 

自分の場合、大変だったことを一言で言えば、同時にやらなければならないことが多すぎたということです。ちなみにアメリカでは、学部を卒業後、大学院に入学する前に1−2年の準備期間(gap yearと言います)を取る学生が多いです。その間は、ラボのResearch Assistantととして働く人が多く、雑務をこなしつつ研究を行い、経験を積んで、大学院に出願します。

 

大学で学んでよかったこと、留学時にやって良かったことは何ですか?

まだ留学期間としては2年弱なのですが、その中で一番良かったと感じる事は環境面です。日本にいる時にはあまり意識していなかった事なのですが、日本で博士課程に進むというと周りからは「お疲れ様」という雰囲気が少なからずあるように思うのですが、こちらの博士課程ではそういった雰囲気は一切ありません。学内だけでなく、地元の方からも研究頑張ってね、といったようにむしろ尊重されているように思います。また、世界中から自分と同じく神経科学を学びたい同年代の学生が集まるので、お互いの研究や将来やりたい研究について熱く語れる刺激的な環境があることを何よりも素晴らしいと感じています。さらに、私の所属する学部は比較的小規模ではあるものの、神経科学で独立した学部が形成されているので、さまざまな分野の専門家がおり、技術的な協力や研究上の密なアドバイスも受けやすい環境が整っています。

 

日本に比べて金銭面でのサポートも充実しています。私の学部では、博士課程1年目は大学からの授業料、生活費、医療保険費といった経済的サポートが全員に保証されています。自分は日本国内の船井情報科学振興財団から2年間の奨学金を得たのですが、大学の規定で1年目の大学からのサポートと合わせた二重受給が禁止されているので、1年目は大学からのみ奨学金を受給をしました。船井情報科学振興財団は奨学金の受給に関して、非常にフレキシブルに対応してくださるので、二年目以降は卒業要件に含まれるTA(Teaching Assistant)やRA(Research Assistant)として働き、大学や指導教官から給料をもらう以外のタイミングで、奨学金を受給をすることが可能です。

 

働き方についても、人それぞれの生活スタイルが許されている雰囲気があることはいいなと思いました。これはラボによると思うのですが、自分のラボでは特にコアタイムのようなものは設けられておらず、自分のペースで研究に打ち込めることは自分にとって合っていました。

 

また所属するラボの先生の推薦で、この夏にウッズホールにあるマサチューセッツ海洋研究所(MBL)の8週間のサマーコースに参加することが決まっています。色々な実験手法や実験動物の実習を体験できるだけなく、学生や研究者たちとのネットワークを作ることができる貴重な機会だと思うので、今から楽しみです。さらに、ラボの先生と一緒に研究費獲得のための計画書をこれから書く予定で、そのような研究者として必要なスキルも学ぶ機会があることもありがたいです。参加費は100万円を超えるので非常に高額ですが、出費を厭わず、そうしたコースに参加する機会をくれる指導教官には感謝しています。

 

逆にガッカリだった内容はありますか?

先ほどの生活スタイルの話と関連するので矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、働かない人は働かないというところが残念に感じました。全然働かない人も一定数いるということが、日本と比べれば目立つところだと思います。

 

ちなみにコーネル大学があるイサカはニューヨーク州の中でも北のかなり田舎の方に位置しています。土地の不便さに関しては来る前から覚悟はしていたので、そこまでガッカリはしませんでした。夜中に一人で歩いていても全く問題ないほど治安が良いので、生活面で大変と思うところはさほどありません。寒さについては学部時代に北海道に住んでいたのでそれほど気にはなりませんが、夏の暑さだけがかなり辛いです(笑)

 

留学でどのような結果を得て、結果を得るためにどう動いたかを教えてください。

これまでの2年間の中での話ですが、まず結果として伸び悩んだのが英会話力で、思ったよりも上達しませんでした。これは自分がもっとパーティなどに積極的に参加するなどソーシャライズするように動くべきだったと思います。これは今後の課題です。

 

一方の研究面については順調で、面白い実験データが出て来ています。これは具体的に工夫したというよりも、日本にいる時と同じようにとにかく研究に打ち込みました。日本にいる時と変わった点は生活習慣くらいです。日本では朝9−10時にラボに来て深夜に帰るという夜型スタイルだったのですが、アメリカでは朝型の生活スタイルに切り替え、朝5時半に起き、6時過ぎにはラボに着き、夜の8時には帰宅しています。結果としてラボにはメンバーの誰よりも早く着き、一番最後に帰るようになりました。

 

あと、家から大学まではバスで通学するのですが、朝一番早い便に乗ることでラッシュに巻き込まれるのを防げるという利点もあります。毎日朝一のバスに乗るため、何人かいるバスの運転手さんが全員自分の顔を覚えてくれていて、止まる合図を出さなくても、自分の学部の前の停留所に止まってくれます(笑)他には、朝大学のジムに行くと空いてる利点もあります。

 

ただ、この生活習慣の変化が研究成果に直接結びついているというよりは、とにかく毎日コンスタントに研究に取り組むということが大きいと思っています。根性論に聞こえるかもしれませんが、良い結果が出ようと出なかろうとコツコツ働くのも、研究を進める上で大切なことなのかなと勝手に思っています。また私の場合、自分一人で研究していると視野が狭くなってしまうので、こまめに指導教官にデータを見せるのはもちろん、同じラボのメンバーだけでなく、同期や友達や学部の上級生、Committee Member(自分の卒業論文を審査する先生方)にも研究の話を積極的にして、フィードバックをもらうように心がけています。

 

馬渕さんは将来はどうしていきたいですか?

アカデミアに残って自分のやりたい研究を続けて行きたいと考えています。今自分の興味のあるテーマは性差や社会行動の神経メカニズムなのですが、自分が取り組んでいく研究の方向性をより具体的に今後も考えていかなければならないと思っています。学位取得後はポスドクになると思うのですが、今は特にアメリカのなかで探したいと考えていて、ポスドクとしてどうしても日本に戻りたいという希望はありません。最終的にはPI(Principal Investigator)として自分のラボを持ちたいと考えています。どこの国で研究室を持ちたいという希望は現時点ではないのですが、アメリカやヨーロッパでPIになれるだけの英語力は今後身につけなければいけないと思っています。

 

編集後記

私にとって馬渕さんは北海道大学理学部の行動神経生物学(旧・行動知能)講座のいちおう後輩にあたります。私がアメリカ留学中に一時帰国で北大に遊びに行ったときに、学部3年生の彼とはじめてお会いしたので、直接の後輩というにはおこがましいのですが。

 

その頃はまだ彼は卒業研究前でしたが、すでにラボに通って実験に打ち込んでおり、非常にself-motivatedな希有な学生という印象でした。その頃から学部卒ですぐにPh.D.留学を考えているということを当時の彼のボスからかねてから聞いておりました。少なくとも私が北大の理学部生物科学系に在籍していた当時、学部卒でアメリカにPh.D.留学した学生は聞いたことがありませんでした。彼は4年生の秋頃に入学試験の準備のために候補の大学をツアーしてまわっており、Caltech神経科学系のラボにも訪問するということで、そのときに私の友人達の力も借りて出来る限りの協力をする機会がありました。

 

やりたい研究のために必死に頑張っていた彼が最終的にCornell大学への入学を決めたときは、私も大変嬉しかったです。そんな彼の近況報告と、詳しく聞けていなかった留学の経緯までもあらためて聞くことができて、個人的にとてもエキサイティングなインタビューでした。非常にタフな彼ですが、これからも健康を崩さず、研究者人生を豊かなものにしていってもらいたいと願います。

インタビュアー:冨菜雄介(Caltech)