文系学部卒からのアメリカ理系大学院進学!そのモチベーションと戦略とは?

新井紀亮さん

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基本情報

名前:新井紀亮(あらい のりあき)

所属(現):カリフォルニア工科大学材料科学科博士課程

最終学位:学士(法学)

年齢:30歳

性別:男

出身地:長野県松本市

経歴

2012年:慶應義塾大学法学部政治学科卒業

2012年:東京理科大学第二部物理学科編入

2013年4月:理化学研究所 パートタイマー(一般事務)

2013年:技術系中小企業 非常勤研究員

2014年5月: 理化学研究所 パートタイマー(実験補助)

2014年:東京理科大学第二部物理学科退学

2014年:結婚

2014年10月:理化学研究所 テクニカルスタッフII

2015年:理化学研究所および技術系中小企業 退職

2015年:カリフォルニア工科大学材料科学科博士課程入学

2020年:カリフォルニア工科大学材料科学科博士課程(予定)

 

インタビュー

なぜ留学に至ったのか

アメリカの大学院を志したきっかけはなんだったのでしょうか?

これに答えるのは結構恥ずかしいのですが(笑)。慶應大の学部3年の9月くらいには普通に就活をしていて、自分が何をしたいのか考えていました。その時ちょうど『ソーシャルネットワーク』の映画を見て、インターネットの世界で Facebook を作ったマーク・ザッカーバーグをかっこいいと思いました。Web上のサービスに限らず、製品など、モノを作って世間に貢献するのってかっこいいなと思ったんですよね。その製品を作るには技術が必要で、最先端の技術があるのはアメリカだと思いまして。アメリカに行くには、アメリカの大学院に入るのが手っ取り早いかなって思ったのがきっかけです。

本当に単純すぎて誰にも言ったことがないんですよね(笑)

 

慶應大の法学部政治学科から、理系への転向かつ海外留学という道を選んだわけですが、何から始めたのでしょうか?

そこから逆算して、どうやったらアメリカの大学院に行けるかを考えました。自分は、目に見える形での理系のバックグラウンドがなかったので、アメリカのLiberal artsの学校のPhysics majorの学生と同等に授業をとり、かつどこかで研究経験を積まないといけないと思っていました。ただ、自分は理系の大学に編入して卒業研究するまで在籍できる金銭的な余裕はないとわかっていたので、昼間は研究経験を積み、夜は学校で勉強するという計画を立てました。

 

高校の時に物理が得意だったので、慶應大卒業後、東京理科大の第二部物理学科(以下、理科大夜間)に編入しました。なので、学部4年の4月(2011年)から日系企業の採用が始まっていましたが、もうその頃には就活はせず、理科大夜間の編入のための勉強をしていました。

 

理科大夜間編入後から実際の受験までの道のりはどういうものだったのでしょうか?

家から遠くないところに、理化学研究所(以下、理研)がありました。昼間研究するために、どこか当たるといいなと思って理研の研究室のパートタイマーに複数応募したのですが、ことごどく落とされました(笑)。自分は慶応大法学部卒業とはいえ理系の学生としては1年目ですから、使い物にならないですし。でもめげずに、ちょっと興味があるなと思ったら応募していました。理科大夜間編入のちょうど1年後の2013年3月に面接に呼ばれ、やる気だけはあります、とアピールした結果、そこの研究室に所属することになりました。本当、拾ってもらったに近かったですね(笑)。そして、研究室の先生が経営する会社でも非常勤として働くことになりました。だから当時は、午後3時くらいまで理研で働き、そこから理科大に行って10時くらいまで授業をとるという生活を1年ぐらいしました。

 

学校選択の基準・決め手など

自分はそもそも受験できる大学院が少なかったんです(笑)

理科大夜間を退学した後(2014年)に、理研の先生が、私のことをUniversity of Chicagoの先生に紹介していただき、自分のバックグラウンドについて確認する機会がありました。その時、どうも理系の学士がないとアメリカの大学院入学は難しいと聞きました。アメリカの大学院の出願条件の中で、一番最初によく来るのが”理学、工学のbachelor degree or equivalent”なのですが、学位はなくとも理科大で授業を取った自分は”equivalent”に該当すると理科大を退学するまで思っていました。でも実は、理学、工学の学士かそれ相当の資格を持っていなければならないという意味だとその時やっと気づいたんですよね。

 

なので、自分のバックグラウンドだと応募できるのはカリフォルニア工科大学(以下、カルテック)とマサチューセッツ工科大学(以下、MIT) しかありませんでした。

例えば、カルテックは違う書き方をしています。(”As preparation for advanced study and research, entering graduate students are expected to have a thorough background in undergraduate mathematics, physics, and engineering.(http://ms.caltech.edu/academics/grad/ms))

学部(レベル)のPhysicsのバックグラントがあればいいとなると、自分はそれに該当しました。さらに、カルテックの初代学長のロバート・ミリカンは、実は、学士は西洋古典文学の学士で卒業しています。「1891年に西洋古典学の学士号を取得。オベリン大学で2学年まで修了した時点で、ギリシア語の教授に「ギリシア語で優秀な者なら誰でも物理学を教えられる」と物理学の講師を頼まれた。それまで物理学には全く縁がなかったが、夏休み中に勉強し講師を務めるようになった。これがきっかけで物理学を志すようになった。(wikipedia)」だから、カルテックにはそのDNAがあったんですよね、これは勝手に自分が信じてるだけなんですけど(笑)

 

ちなみに、カルテックを初めて知ったのは、カルテックの先生の講演を理研で聞いたときでした。その人の研究が面白いと思い、後にその先生に連絡をして、研究の話などをしました。MITの先生からは連絡しても返信がなかったので、無理だろうなと応募した時点で諦めてはいました。どちらも記念受験だと自分では思っていました(笑)

 

留学前に大変だったこと、どうやって克服したか

留学前に大変だったことは何でしたか?

自分をどうアピールするかについて、(文系学士から理系アメリカ大学院という)前例がないので、ゼロベースで考えなければいけませんでした。つまり、慶應政治学科を卒業してからの2年間で、どうやって、理系の学部4年間ないし修士2年間勉強した学生と遜色ない実績を、目に見える形で作れるかと、一から考えました。Resume、志願理由書、推薦状のどれをとってもです。他の人から考えると無謀だと思われていたかもしれませんね。実際、当時会った日本の先生には、無理だよとは言われないまでも、会話からそう思われているのが分かりました(笑)。

 

その苦難をどうやって克服しましたか?

すごい難しい道のりなのはわかっていました。それでも、留学までの道のりを逆算して計画を立てて頑張りました。例えば、実は理科大夜間の合格と同時に、早稲田大学工学部(以下、早稲田)も受かっていました。周りの人からは知名度の高い早稲田に行ったほうがいいよと言われていました。でも、夜間の授業がない早稲田では、2年間授業のみに時間を費やすのに対し、理科大夜間では、昼はバイトとして研究所に入ることができます。もちろんいろんな人にアドバイスをされましたが、自分の計画を信じて理科大夜間を選びました。

 

精神的な意味では、準備の期間は自分は合格できると信じ切っていたので、それが本当大きかったと思います。やると決めたからには、自分自身がコントロールできない部分はもう心配しないようにしました。自分に任された、自分にできることを精一杯やろうというのが自分の当時の心境でした。例えば、昼は理研の研究を精一杯頑張る。理科大夜間の授業の成績は絶対に最高のS評価を取り続ける。TOEFLとかGREとか志願理由書とかも、自分にできることをひたすら精一杯頑張る。家族や理研の先生方がサポートしてくれたのは、本当大きかったと思います。

でも、今となっての後悔は理系のBachlorがないとほとんどのアメリカの理系大学院に入れない事実をもっと早めに知っておくことだったと思います。

 

そのモチベーションはどこから来ていたんでしょうか?

(留学のきっかけである)『ソーシャルネットワーク』の映画だと思います。 そのDVD を持っているのですが、何回も見ました(笑)。あれが不思議と自分のモチベーションを保ってくれました。マックザッカーバーグかっこいいなって(笑)。あの映画は本当好きなんです。

 

アメリカの大学院受験について、周りからの反応はどうでしたか?

自分は、慶應大を卒業してから、カルテックに入学するまでの3年間で、今の妻と付き合い、婚約して、結婚までしました。付き合うときにはすでに留学すると決めていました。彼女は国家資格を持っており、それで働くと当時は決めていたので、長い年月を経て説得した形になったと思います。もしかしたら今でも日本にいたいと思ってるかもしれませんね。今でも覚えていますが、2015年3月24日にカルテックから合格をもらったときは、妻はすごい喜んでくれました。一緒にしゃぶしゃぶを食べにいきましたね、すごい応援してくれてたんだなと思いました。

幸いにも自分の両親、彼女の両親、理研の先生方もアメリカ留学を非常に応援してくれていました。推薦状も理研の3人の先生から頂きました。環境には恵まれていました。

 

大学(大学院)で学んで良かったこと、留学時にやって良かったこと

材料科学を学べてよかったなと思います。材料科学はこれからすごい大事だと思いますし、すべての技術のベースだと思っています。

 

材料科学に興味をもったのは、理研の先生が経営する会社で働いてた時でした。その会社の、40~90℃の廃熱で電気を生み出すという技術を聞いた時に、そんな低温で電気を生み出すなんてすごいな、と直感的に感じました。その会社で、自分は海外からの問い合わせの担当もしてたのですが、いつも「コストはいくらか」という質問を受けており、それがひとつの壁になっていたと思います。使われている材料や、その材料の加工費用によるコストを抑えることができれば、さらに製品が普及していくと思いました。だから、理論上は人の役に立つ技術でも、製品として世の中に出していくにはより安価な材料で作らなければなりません。

 

そこで、製品として最大のパフォーマンスを出すために、また、安くあるために、どういう材料・製造プロセスを使えばいいかを考える「材料科学」に興味を持ったんですね。大学院でその「材料科学」を学べて、今の研究室でも材料製造プロセスに関連した研究をできているので、すごいよかったなと思います。

 

また、自分は研究室選びを丁寧に行いました。カルテックに着いた初日に、自分の研究内容と合っていた、第一志望の先生に挨拶をしました。定期的にグループミーティングにも出ており、当時はここに入ると決めてはいたのですが、ちょっと一歩踏みとどまって他も見ることにしました。研究内容だけではなく、研究室の雰囲気も考慮して選ぼうと思いました。指導教員との相性や、研究室の学生の雰囲気とかです。他の研究室のグループミーティングに参加したり、話を聞いてみたりした結果、現在所属している研究室が合うなと思いまして、そこに所属することになりました。

 

留学中・留学後にガッカリした内容(卒業後の就職、授業内容など)

カルテックに来てガッカリしたことはありますか?

カルテック でガッカリしたことはほとんどないですね。それは自分だけじゃなくて妻にとってもです。カリフォルニアは気候もよく、 カルテックにはSpouse Club(大学院生やポスドクの配偶者の集まり)もあり、奥さんが楽しめる環境もあります。また日本食レストランやスーパーもあるので、大変過ごしやすいです。

 

ただ、一つ挙げるとすれば、自分の出来なさにがっかりしました。

例えば、アメリカの大学院留学をしている人のブログ記事では、みんなが言うほど大変でもない、頑張ればできると書いてる人が結構いると思うのですが、自分は本当に正反対でした。自分の所属する材料科学科の学生は10人ぐらいいるのですが、彼らに比べて自分は頭の回転も遅く、記憶力もなく、極めつけに材料科学のバックグラウンドもありませんでした。それで劣等感しか感じなかったですね。できない自分に本当がっかりしました。

なので、研究室での自分の立ち位置を確立するのに大変苦労しました。最初1年間は、一人一人の個が目立つ少人数のグループで、自分のvalueを出すのに苦労しました

 

その中でどうやって研究室での立ち位置を確立したのでしょうか?

これは、留学のなかでは大変苦労したと思います。 みんな頭の回転が速くて弁が立つわけです。でもある時から、実際に証明できる実験が究極だと思ったので、実際に手を動かして、結果をもって証明することをしました。実験屋というキャラクターを研究室で築いたんです。自分には実験屋としての自負があって、これには誰にも負けられたくないと思います。

 

将来の進路についてと、それに向けて現在どう動いているか

卒業の進路としては何を考えていますでしょうか?

卒業後にやりたいこととしては、今の研究している技術を使っての起業です。

いま研究室で、ある病気の診断と治療を短時間で行えるデバイスを作ろうとしています。従来のやり方では、その病気の診断に24時間また数日以上かかっているため、治療が遅れ、致死率が高いのが現状です。その診断の短時間化のための技術開発に取り組んでいます。もしこの技術開発がうまくいけば商業化できると思っています。

 

もしこれがうまく行かなかった場合には、ウォルトディズニーの研究所で働きたいと思っています。自分はディズニーが大好きで、結婚記念日もウォルトディズニーの誕生日なぐらい大好きなんです(笑)。ウォルトディズニーは僕がカルテックに来た2015年と翌年の2016年に、材料科学者のインターンシップを募集していいたのですが、2017年以降全くなくなりました。そして、Linkedlinを見ても、ウォルトディズニーのMaterials scienceの人ってすごい減ってきています。なのでもうウォルトディズニーは材料科学に興味はないのかな、とも思っています。

 

それだけ好きなウォルトディズニーより、起業が第一志望なのはどうしてでしょう?

例えば、自分がウォルドディズニーを求めていても、募集がなかったり、またウォルトディズニーが自分を求めていない場合は(就職が)難しいじゃないですか。だから、目の前のことを頑張り、そこから開けてきたものをやればいいと思っています。ウォルトディズニーへの就職のために準備するなら、もう少し自分の研究内容がウォルトディズニーに近いものになるように選んだほうがいいと思うのですが、そんなことをしても、自分の就職のタイミングでディズニーが求めていなかったら意味はありませんから。

 

今回、インタビューを受けてくださってありがとうございます。自分のやりたいことに向けて、一般的なレールを外れて自分の道を進んでいる新井さんに感化されました。

レールを外れるっていいですよね。一回外れるとレールに乗らないといけないという不安がなくなるので、自由な選択ができるようになります。例えば、新卒採用も自分はなかったです。その後はもう自分の後悔のない、自由な選択ができるようになったと思います。

 

編集後記

新井さんは、私にとってカルテックの材料学科の一つ上の先輩です。改めて留学までの経緯や将来の話を聞いて、『ソーシャルネットワーク』を見たときから今まで、「製品」を作りたいという思いを貫き、それに向け邁進している新井さんに大変感化されました。自分のバックグラウンドや、”一般的な”進路設計に関係なく、やりたいことを見つけ、前例がなくてもそれを実現していく新井さんの話を共有することで、少しでも「培った能力」や「前例」にとらわれない選択をしようとしている人たちへの励みになればと思います。(少なくとも私は励みになりました(笑))

インタビュアー:成田海