ぼんやりとした目標でもいい、高校卒業後の留学で自分が本当にやりたいことを見つける!

畑辺 将希さん

f:id:Pathfinders:20200107150250j:plain

 

 

基本情報

名前:畑辺 将希

所属(現):リード エグジビジョン ジャパン株式会社

最終学位:学士

年齢:34歳

性別:男性

出身地:熊本県

経歴

2004年9月:Citrus College入学

2006年12月:Citrus Collegeビジネス&リベラルアーツ卒業

2007年2月:OPT (Optional Practical Training)

2008年1月:OPT終了

2008年5月 :California State Polytechnic University, Pomona編入

2011年12月:California State Polytechnic University, Pomonaリベラルアーツ卒業

 2012年2月:リード エグジビジョン ジャパン入社

 

インタビュー

1 留学に至った経緯―普通の体育教師にはならない―

体育教師になって高校野球を教えるんだろなと思っていました。自分が高校生の当時、兄がアメリカのロサンゼルス近郊にいたので、兄からよくアメリカの教師の話を聞いていました。生徒や保護者、コミュニティの関わり方なども聞き、自分の中でのロールモデル・理想像はアメリカの教師になったのです。憧れを持ったアメリカの教師は、大学を卒業してそのまま教師になるのではなく、社会に出て様々な経験を積んで、教科書を通じて、自身の経験を交えて生徒に教える、そんな教師になりたい、と漠然と考えていました。また、通っていた熊本の高校は“チャレンジ精神”を大切にしていたので、日本の大学進学よりエスカレーター式に教師になる選択肢が一般的な中で、何かチャレンジしてやろうという気持ちがありました。あとはスポーツの最先端の国、野球でも世界一と称されるアメリカで学びたい!といった感じで留学することを決めました。

 

2 学校選びと学部留学―英語力がなくても何とかなる―

兄の紹介で、くまもと留学センター(現:留学サポート熊本)というところに行き、相談しました。そこで紹介されたのが、入学することになるCitrus College(以下、Citrus)です。いざ留学を心に決めたのは、良かったですが、高校まで野球ばかりで勉強をおろそかにしていたので自分の英語力はひどいものでした。それでもCitrusは受け入れてくれるといったし、Citrusは野球も強いし、といった感じで、あまり迷うことはなかったですね。なので学校を選ばなければ留学のハードルが高いとは感じません。その後勉強せずまま渡米したので、ホストファミリーと全くコミュニケーションが取れず泣く事になるんですが (笑) 渡米後、Citrusのサマースクール(英語)のテストに合格すればカレッジに進めるということで、5月に渡米してから死に物狂いで勉強し、なんとかテストに合格し9月からカレッジに入学できました。自分でもすごい勉強したと思います、でもこれまで野球に注いでたものを全部英語に切り替えただけなんですよね。語学学校に行く必要もなくそのままカレッジに行けたので、費用面でもかなり助かりました。Citrusに入学後は野球部の入団テストも受かったのですが、バッティングに重きを置いていて、ホームラン構成の戦術の中、他に戦術的なものを学ぶ雰囲気はなく、あまり日本に持ち帰るものはないなと判断、そこで野球を捨てました(笑)結局趣味として台湾人チームに入れてもらってやることにしました。そんなこと日本にいる時から調べとけよって感じですけどね(笑)

 

 

3 大学での学び・留学での学び―自分の生涯をかけてやりたいことを見つける―

こうして野球からは少し離れることになりました。CitrusではPE(体育)や教養科目の他に、幅広い世界を見たいという思いから、その基礎としてビジネスを専攻することにしました。ビジネスを学んでいくうちに、学んだことを実践したい、0→1を生み出す経験をしてみたい、という思いが強くなりました。この時考えていたのが、留学生が活躍する場を作るというアイディアです。場を作るには物理的に場所も必要です。学校の正式なクラブとして認められれば校内で場所を借りることができるため、インターナショナルオフィスに相談に行きました。そこにいたのがMr. Coeです。彼は本当に理解がある人で、クラブ活動を支援しオフィスとして金銭的な支援もしてくれました。今でも連絡を取っている恩人ですね。Citrus音楽学部が強いので、最初は150人ほどの音楽祭を企画しました。そこからファッションショーにまで拡げ、300人、400人と2年間で6度開催し、回数を重ねる毎に規模を拡大していくことができました。最初はひとりで始めたし、苦労も絶えなかったですが、それ以上に楽しかった。自分が誰かの活躍する場を提供できるということが本当に嬉しかったし、やりがいを感じました。

f:id:Pathfinders:20200107150332j:plain

f:id:Pathfinders:20200107150327j:plain

カレッジを2年で卒業する時には、まだ何か中途半端だな、やり残したことがある、と感じたのでOPTとしてロサンゼルス近郊で1年間働くことに決めました。そこで、この後進む大学の生活費なども稼ぐことができましたし、経理業務を中心に複数の会社で働きました。そうして、California State Polytechnic University, Pomonaに編入し、学士まで取ることができました。生活していて感じたのが、日系社会がとても弱いということ。野球のWBCを見に行った時にも、韓国人や中国人は母国を応援しにたくさんの人が集まるのに、日本人は全然集まらない。でも、ロサンゼルス近郊で日本人ってとても信用されているんです。例えば、部屋を借りる際にも普通は必要になる頭金も日本人だったら払わなくていいよって言われたり。そういった日本人だからこその恩恵を多々受け、自分も日本人として誇らしくなり、母国心が強くなりました。そして、もっと日本社会を盛り上げたい、日本をもっと元気にしたいってこの時強く思いました。そして課外活動で自分で提案書を書いて、飛込営業で25,000ドル以上出資を集め日本からミュージシャンを呼んだりもしました。その頃に現在勤めている国際見本市を主催する会社に出会い、ビビっときたのです。自分の本当にやりたいことがこの会社で実現できると。各業界発展のために人・モノ・情報を集める、それを企画し提供する。よくよく思い返すと、最初にCitrusで留学生のための活躍の場を作りたいと企画した音楽祭と根底では繋がっていますね。

 

4 留学で得られたこと―ワクワクするような心や考え方に変わった―

異国の地で、日々、自身がやりたいことは何なのか、徹底的に考え向き合って動き続けたこと。それが今に繋がっていると思います。それからよく言われることですが、母国心が強くましたね。自分が日本のことを知らなさすぎたことに気が付きました。日本を出ることでアメリカ人だけでない他国の人と触れ合い、比較対象が増えました。視野が拡がる、世界観が変わるってこういうことなのかなって。また、日本にいたら出会えないような色々な面白い人と出会うこともできました。ビーチバレーボールの発祥の地、サンタモニカに行くと、ビーチの王様と呼ばれる有名人が普通にビーチにいて話がはずみ、日本のビーチバレーボール選手(弟)をアメリカに呼び、合宿して教えてもらえたり。毎日、良い出逢いがあるかもしれないから活動しないと、もったいない!と思えたのも留学したからこそ根付いた考えでした。留学のおかげでって考えてみるとたくさんありますね。女性に対しても、当たり前が当たり前じゃないと思うようにもなりましたね。九州出身なので九州男児の振る舞いが当たり前と思っていたのに、すっかりレディファースト精神に憧れて帰ってくるっていう(笑)今の妻も昔の自分では、ゴールインできなかったのかなと(笑)。キャリアの話としては、自分は海外系の案件を多く任せてもらっていますが、世界では、日本の当たり前が通じないという前提で考えられることは、今の仕事に大きく活きていると思いますし、留学して考えが変わらなければ、あらゆる事象を受け入れられなかったと思います。

 

5 将来と続く人へ―なんとなくでも動いてみればいい―

今は自分のやりたいことができていて充実した毎日です。将来的には地元である九州で国際見本市を開催することが目標です。やはり自分を育ててくれたところに感謝の気持ちもありますし、少しでも地域活性化に貢献できれば嬉しいなと考えています。留学する人の中で、自分のやりたいことが明確な人は2割くらいだと私は、思います。その他8割は自分が何をやりたいか分かっていない。そのうちの半分の人が何となくでも動いてみることができる人だと思います。自分はその半分だったのだと思います。高校時代、体育教師というぼんやりと目指すところはあったものの、これを何が何でもやりたいという強い思いにまでは至っていなかった。留学する人は皆、明確にこれがやりたいっていう2割だと思われているかもしれませんが、自分みたいに、ぼやぼやとイメージして留学する人も実際は、多くいると思います(笑)海外に出てみるということは、思っている以上に多くの刺激があり、学びがあり、否応なしに頑張ることになります。そこでやりたいことが見つかれば幸せなんじゃないかな。

 

 

 

編集後記

留学時代の日本人の友人がオーナーをしているという新宿ゴールデン街のバーでのインタビューとなりました。お酒を飲みながら、そのオーナーさんも含めて留学あるある話で盛り上がったりと、リラックスした中で、でもとても熱い想いを語ってくれました。畑辺さんとは筆者が日本で大学生をしていた時にロサンゼルスに留学をされていて出会ったのですが、自分の芯をしっかり持っていて軸がぶれず意見をはっきり言うところは当時と変わらず、インタビューを忘れるくらい懐かしい楽しい時間となりました。レディファースト九州男児もありなんじゃないですかね(笑)九州での国際見本市の開催を楽しみにしています!

 

インタビュアー:Natsuko Tanaka