Youは何しに海外へ。YouはどうしてPathfinders’運営者に。 -前編-

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2019年12月、Pathfinders’を運営するRef.のメンバー全員が東京に集まりました。今は、東京にいるメンバーとLAに残るメンバーが半々くらいなので、みなで東京で集まるのは貴重な機会!(東京で集まるのは初めてなので不思議な気分でした。)

 

ということで、せっかくなので、座談会を開催。

「海外に赴いたきっかけ」と「この活動に参加することを決めた原体験」を1人ずつ話していくことにしました。

今は一緒の方向性を持って活動をしていますが、ここに行き着くバックグラウンドや過程は5人ともばらばら。Pathfinders’を見てくださっている皆さんに、「留学ってこんな小さなきっかけから考え始めるんだ!」とか、「周りに留学を考えている人は少ないけれど、このメンバーは自分と似てる!」など気づいてもらえたら嬉しいなと思い、記事にすることにしました。

もし、もっと私たちの話を聞いてみたいと思ってくださる方がいらっしゃったら、Facebookのメッセージや問合せのリンクからいつでもご連絡ください。

この記事は、前編として、以下の3人のメンバーの話をお伝えしていきます。

・かい  :東京工業大学の学部、修士を終えたのちに、2016年からカリフォルニア工科大学(CALTEC)の材料科学専攻の博士過程に留学。

 ・さとし:2017年11月からカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の進化生態学部にアオリイカの資源生態研究(ポスドク)のため留学し、2019年11月に帰国。

・なつこ:新卒で5年ほど勤めたコンサルティング会社を辞め、2017年から南カリフォルニア大学(USC)公共政策大学院の修士課程に留学し、2019年に卒業。その後現地のITスタートアップで少し働き、2019年9月に帰国。現在は都内監査法人勤務。

 

マレーシアに行って「海外って意外といけるな」と思いました。いろんなプログラムに無料で参加できる良い時期に海外に興味を持ちました。(かい)

かい:僕は今アメリカのカリフォルニア工科大学の博士課程の4年目になりますが、これが初めての長期留学です。もともと自分は21歳まで海外に行ったことがなくて。高校まで青森で過ごして、東京工業大学に入学して初めて東京に来て、それから学部3年生まで海外にも行ったことがありませんでした。この留学に至ったきっかけは、初めての海外経験からでした。学部3年のときに、クラスでグループごとに実験と発表を行い、一番良い発表をしたグループがマレーシアで発表できる機会があり、そこで優勝してマレーシアに行ったのが初めての海外経験です。英語は得意ではなかったけど、マレーシアで発表するために100時間くらい練習をして、発表もなんとかできて自信になり、海外意外といけるな、と思えるようになりました。

 

ちょうどそのころ、2013年〜2014年ごろは日本で「留学プログラムを増やそう」という機運が高まったときでした、様々な留学プログラムがありつつ、まだ応募する人が少なかった。手を挙げれば簡単に留学プログラムに行ける時期でもありました。なので、マレーシアに行ったあと、毎学期ごとくらいの頻度で留学プログラムに参加していました。

 

その1つで、東工大に留学で来ていた韓国人と一緒に、イギリスのケンブリッジ大学へ行く、サイエンスコミュニケーションのプログラムに1週間ほど参加したのですが、その韓国人が修士ケンブリッジに行きたいと言っているのを聞き、驚きました。大学学部で日本に留学したうえ修士は別の国にさらに留学しようとするなんて、なんてフットワークが軽いんだろうと思って。そして、海外で学位を取ることはそんなに気を張らなくてもできるのかもと思えた瞬間でもありました。それまでは、博士を日本で取ろうと思っていましたが、海外で取るのもありかなと考え始め、そこから留学先探して頑張って頑張って…今に至ります。

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ちひろ:高校生の間は、「いつか留学に行くかもな」とか考えたことはあったの?

 

かい:まったく考えていなかったです。大学で東京に行くこと自体が、自分にとっては海外に行くようなものだったから、海外に行くことは頭になかったです。

 

ちひろ:マレーシアに行ったことは意識が海外に向く大きなきっかけになったと思うけど、マレーシアに行ってみてどんなことを思ったの?「海外って面白いな」という感覚?

 

かい:面白いというよりは、意外と自分もいけるなっていう感覚でした。よく「海外留学はすごい」と言われるし、そういうイメージもあるけど、何がすごいのかよくわからないじゃないですか。でも、実際に行ってみたら、「なんだ意外といけるな」と思ったんです。それに、当時の留学プログラムって多くが無料で行けたんですよ。さっき話したケンブリッジのプログラムも渡航費や滞在費も補助されていました。

 

一同:それってすごくない!?そんなのあるの??

 

かい:みんなが応募しないから知らないだけであるんですよ。1週間イギリスに滞在するんですけど、ずっとケンブリッジ大学で授業を受けるのではなく、博物館の学芸員の方の話を聞くなどのフィールドワークもあったりしました。ちょうどそういうプログラムが始まったばかりの時期で、前例もないですしみんなあまり行きたがらなかったんですね。なので、手さえ挙げれば簡単に行くことができる、というちょうど良いタイミングでした。

 

さとし:理系は結構あると思います。学会に行きたいとか、共同研究をしたい、とか一定の目的を持って行く留学プログラムが多いイメージで、それなりにお金も出してくれるんですよ。

 

なつこ:それは研究室とかがお金出してくれるってことなの?

 

かい:いえ、学部です。国が各大学に留学支援のためにお金を出していて、これを使って学部が提供している感じですかね。

 

なつこ:それは文系にはない気がするな。国際法関連とかの分野ならあるかもしれないけど、すごく限られてそう。

 

後輩が自分と同じつらい思いをしないために、何かできないかって考えているときにみなさんに出会いました。(かい)

かい:この活動を始めた原体験は、自分が留学準備をするのがめちゃくちゃ大変だったことにあります。全く情報がないわけではなく、先輩方やウェブの情報は少しあるんですけど、Googleで「留学 理系」で検索するところから始まって、志望理由書はどうやって書くのかな、など1つ1つすべて大変でした。結構つらいことも多かったですが、周りに留学する人も少なく、共有できずに孤独でした。なので、今後後輩が同じように留学したいと思ったときに、同じ気持ちにさせたくないな、何かできることないかなと思っていたときに、みなさんに出会いました。あと、米国大学院学生会など同じ属性の人たちが集まるグループは結構あったりするんですけど、ここのメンバーは異業種の社会人でバックグラウンドが違う人たちが集まっているので、アプローチできる可能性が広いし、何か面白いことができるのではないかなと思いました。

 

なつこ:米国大学院学生会はどんな活動をしているの?

 

かい:10年くらい運営している団体だと思うんですけど、理系だけではなくいろんな分野の人が集まっていて、日本の大学で留学に関する説明会をやったりしています。今回の一時帰国のタイミングで、東工大・北大・東大に説明しにいきます。

 

さとし:かい君は、いろんな団体を掛け持ちしてサポートしていて、すごく活動的だよね。

 

かい:今年は特にいろいろ動いたかも。動きすぎてるくらい笑

 

さとし:バイタリティの源は何かあるの?

 

かい:興味持ったらとりあえず動いてみるタイプですね。すごくエネルギーがあるタイプではないと思うんですけど、とりあえずやってみようと思って動きます。そのきっかけは、やっぱりマレーシアだったと思います。

 

さとし:留学をしてみることで、他のことに対してもフットワークが軽くなったり、飛び込みやすくなるってあるよね。どうなるかわからなくても、どうにかなるって思えるようになったしね。

 

一同:たしかにー!

 

博士過程のときに海外に初めて行って、「なんだ、英語話せなくても海外でもいけるじゃん」って思った。(さとし)

さとし:かい君やなっちゃんとは違って、僕は学生として留学したわけではなくポスドクで留学しています。自分は学生時代に留学行かなかったけど、国内でドクターを取るよりも海外でドクターを取った方が圧倒的に良いことを肌で感じていて。これからの若い後輩たちにもっと海外でドクターを取る選択肢を考えてほしいな、1人でも多くの学生が海外に出てくれた嬉しいなと思ってる。自分が行けなかった分、もっと若い人たちに行ってもらいたいなって。

 

ちひろ:行かなかったのはなんで?行く選択肢を考えたことがなかったの?

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さとし:まったく考えてなかったです。高校・大学・大学院ともずっと留学経験なく、短期留学さえしたことなかった。外国人といえば、実家の牡蠣養殖場に来る中国人の研修生くらい(笑)自分が会ったことないヨーロッパの人はきっと賢いんだろうなって考えているような、典型的なステレオタイプの日本人だった。両親も大学に行っていなくて漁師の家系だから、周りに留学している人はもちろんいないし、留学に行く選択肢はまったく思い浮かばなかった。だから、高校生くらいまでは岡山県から先の世界は考えたこともなくて、ベストの就職先は県庁や教師だと思っているような学生だった。

 

でも、高校のときにヨット部の部活動で全国大会に出る機会をもらって、日本を舞台に活躍する道もあると視野が広がったんだよね。ヨット部で中国大会で優勝して、県代表として国体にもインターハイにも出場して、日本で挑戦しうることを身をもって経験できた。

 

その後、大学に行くときに牡蠣の研究をしようと思って、牡蠣といえば広島大学だと思ってAO入試で入学しました。勉強していくうちに興味が広がり、最終的に釣りが大好きな先生のところに行って、その先生のもとでイカの研究を始めたというわけ。

 

でも、学部に入ったときからイカの研究をずっとやっていくことを考えていたわけではなくて、高校教師になろうと思ってたんだ。ヨット部で中国大会には優勝したのに、全国大会では入賞すらできなくてめっちゃ悔しくて。だから、今度は自分が高校教師になって後輩たちを全国大会で優勝させたいって思ってた。だから、高校のときから、大学4年間はひたすら部活動やって、2年間で研究して就職して高校教師になる6年コースを考えてたんだよね。

 

でも、大学でも日本一は取れなくて。で、大学院に入って研究始めたらこれが楽しくなった。高校教師になろうと思ってマスターに入ったけど、2年生になって、公務員試験、博士の入試、就活という進路を決めなきゃいけないタイミングになったときに、指導教官が「お前はもっと広い世界で活躍した方がよい」って言ってくれたんだ。それで、先は見えないけど、博士取って自分で人生を切り開いていくのも面白いかなと思って、博士過程に行くことにしたんだよね。

 

でも博士の入試のタイミングでは、海外はもちろん考えてないし、指導教官への恩返しもあって国内の他大に行くことさえ考えてなかった。それで、そのまま広島大学の博士過程に入ったんだけど、補助金とかをもらうときに研究業績を書くときに国際学会での発表がないのはありえなくて。このときに初めて海外に対して目が向いたかもしれない。それで、初めて行った国際学会がスイスで、フランス・イギリスと回って。これが初めての海外旅行でもあったんだけど、すごい面白くて。「なんだ、海外行っても意外といけるじゃん」って思った。

 

ちひろ:何が面白かったの?

 

さとし:とりあえずひどい英語でも通じて自信になった(笑)あと、英語そんなに話せなくても、一緒に笑って飲んでたら海外の人は仲間に入れてくれるし。昔からヨーロッパの人は賢いだろうって思ってけど、学会の発表内容とか聞いてて、そうでもないぞってことに気づけた。しかも、イギリスで訪ねた研究室の先生が学生を褒めるのがすごくうまくて。「お前のやってることすごいよ!」って言われたら、海外でもいけるかもなって思うじゃん。それで、海外に行ってみたいと思った。博士過程2年のときだから、24のときだね。

 

それでちょっと調子に乗っちゃって、日本でスピーチコンテストに出たら優勝できて、オーストラリアの世界大会に行ける権利をもらったんだよ。それで、英語たくさん練習して世界大会に出てみたら、トップ10入りしちゃって。

 

ちひろ:すごいね!!なんのスピーチをしたの?

 

さとし:博士過程の学生が3分で自分の研究内容をスピーチするというコンテストだった。イカについて話したよ。先生たちに「お前はしゃべるのが好きそうだから出てみないか」って言われて出たんだ。

 

なつこ:さとしさんの周りには良い示唆を与えてくれる人がたくさんいたんだね。

 

さとし:うん、とても恵まれていたと思う。スピーチなんてやったことなかったんだけど、意外と世界でも戦えるんじゃない、ってまた調子に乗っちゃったわけ(笑)

 

それで、博士卒業したあとどうするかを決めるタイミングになったときに、選択肢はいくつかあったけど、海外に行こうと思ったんだよね。文科省が出している若手研究者を2年間海外に派遣するプログラムに応募しようと思って、受け入れ先を探したときに、自分と同じ研究をやってて、かつ自分より先に行っている人を見つけて。このまま自分1人でやっていっても負けるから、共同研究申し込んで仲間にしちゃおうと思って。まったく面識のない先生なんだけど、とりあえずメール送って、その学生と国際学会で会ったんだ。そうしたら、一度UCLAに来てという話になって、文科省助成金が取れたら来ていいよってところまでこぎつけて。助成金が取れたので、UCLAに行ったというわけ。

 

海外でドクターを取る学生が増えてほしい。学生たちの視野を広げるきっかけになりたい。(さとし)

さとし:UCLAに行ってみたら、岡山・広島に行って社会人経験もない自分とはまったくバックグラウンドの違う人たちにたくさん会えて。人間的に魅力のある人ってこんなにたくさんいるんだなって知ったんだよね。その中で、日本でドクターを取っても、国際的には話にならない、という体験談をきいた。国内でドクターを取るよりも海外でドクターを取った方が、良いことを聞いたし、雰囲気を感じた。後輩たちにもっと海外でドクターを取る選択肢を考えてほしいな、1人でも多くの学生、もちろんポスドクも海外に出てくれた嬉しいなと思ってる。そのためのお手伝いができたらいいなと思ってる。

 

あとは、自分の場合、文科省の申請書の書き方とかどこにも情報がないし、すごく大変だった。指導教官からも、卒業後したら1人の研究者だから、今までのように面倒みないぞと言われて、具体的な研究計画はみてもらっていない。でもそのおかげで覚悟はできました。先生にはみてもらっていませんが、学会で会った研究者に申請書類を見てもらい、「絶対落ちるぞ」と言われたね。書いている内容が広がりすぎていて、どこが重要なのかわからない、もっと絞った方が良いとアドバイスをもらったけど、もうすでに提出済みだったから直せなくて。おまけに誤字脱字もあったから、「お前は来年の申請の準備した方がよいぞ」って言われていたけど、蓋を開けてみたら面接免除で即採用になった!たぶん熱意が伝わったんだと思う(笑)

 

なつこ:日本の学生たちは、海外のドクターを取った方がいいぞって言われることはないの?

 

さとし:言われないね。

 

ちひろ:それは、海外のドクターを取った人がいないから、海外に出る選択肢をアドバイスもできないってこと?

 

さとし:どちらもあると思う。先生の考え方で大きく変わると思う。僕のまわりでは、海外でドクターを取った人はいなかった。僕の指導教官は僕が海外に行きたいと話した時に初めて、海外にでるアドバイスを話してくれた。あと、例えば、研究室って師弟制度みたいなところもあるから、指導教官によっては「俺のところ入ったのに他のところ行くのかよ」「外に出たらもう戻ってこれないぞ」みたいに思う先生もいると思う。そういう人たちたいる大学だと、「国内の他大学院にいくことすらご法度」という空気だから、学生は海外に行くことなんて考えられないよね。

 

あや:東京と地方で結構差があるんだね。

 

さとし:うん、違うと思う。僕自身、広島にいたときは東京と地方で学生や先生の考えも違うのかなとぼんやり思っていた。uclaきて驚いたのは、学生が戦略的に良い研究室に行こうとしているし、それって自分の能力を高めるために当たり前だと思うんだけど、そんなことすらわからない世界に自分はいたんだよね。当たり前が全然違う。外に出ていなければ外の世界がどうなっているかはわからないから、誰かが言ってあげる必要があるんだよね。そのきっかけに自分がなれたらいいなと思ってる。

 

かい:それは大学に説明会に行っても思います。例えば、東大に説明会に行けば200人くらい集まるんですよ。だけど、地方に行ったら10人以下のこともあるから。

 

さとし:一部の研究者の世界だと、海外留学したい、大学院変えたいということ自体はばかられる雰囲気があるんだよね。教授のこと裏切るみたいな。変えるというと、「先生と何かあったの?」「先生と折り合いがつかないから辞めるの?」とかまずはネガティブな質問される。

師弟制度の中でポジションになっている人が何代も続いて今の指導教官になっているから、そのプロセスが当たり前になっているんだと思う。

 

なつこ:じゃぁ地元の友達からやばいヤツだと思われてる?

 

さとし:うん、思われていると思う!でも自分の人生は自分で決断してきたから、後悔は何一つない。

 

一同:爆笑

 

なつこ:海外留学行っただけで、あいつは違う世界のやつ、みたいに思われるところあるよね。

 

さとし:生きてきた界が狭い分、地方の人は違う世界を見たときの衝撃は大きいし、「こう変えたい!」って思うエネルギーも大きいと思うから、もっと海外に出てほしいと思ってる。

 

あや:地方問題は、別記事にしてもう一回話せそうだよね。

 

高校生時代に中国の高校生の勉強量見て「自分やばい」と思いました。社会人になって「えいや」で留学を決めてよかった。(なつこ)

なつこ:高校1年のときに、日経新聞社が高校生を対象に開催する「日経エデュケーションチャレンジ」というイベントに参加して、1日かけて様々な分野の社会人から「仕事とは?」みたいな話を聞いたんです。そのイベントは、イベントの感想文で応募するコンテストもセットになっていました。結果、全国から10人くらい受賞されてそのうちの1人に選ばれて、中国に1週間くらいの研修ツアーに行ったのが、自分にとって大きな海外体験になりました。

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ちひろ:なんでそのイベントに参加したの?

 

なつこ:当時私は地元の広島に住んでいたんですけど、姉が大学進学のために先に東京に出てきていて、夏休みで東京に遊びに来ていたんです。それで、姉が相手してくれない日が1日あったときに、父親が「こんなイベントがあるぞ」って勧めてくれて、やることもないし行ってみよう、という軽い気持ちで行きました。

 

ちひろ:全国から10人に選ばれるってすごい!実際にイベントではすごく感化されたの?

 

なつこ:すごく感化された!田舎で育って社会が何たるかも知らない高校生の私にとってはすごく刺激的だった。自分の周りの社会って、先生と友達と家族くらいしかない中で、日本の一流企業の人たちが仕事について話してくれて、すごく世界が広がったし、働くって面白そうと思いました。

 

コンテストで選ばれて行った中国では、企業訪問や、現地の高校生との交流会がありました。そこで初めて中国の学生に会って、中国人めちゃくちゃ勉強しているな、と驚きました。彼らの1日のスケジュールを聞くと、朝はやくから学校の特別クラス、通常授業を受け、学校が終わってからも勉強のスケジュールがぎっしりで衝撃を受けました。世界を知らない田舎の高校生だった私は、この話を聞いて「日本やばいな、自分やばいな」ってそこで初めて気づいたんです。

 

そこから世界に意識が向くようになって、いつか海外に行きたいなと考えるようになり、その後大学2年のときにゼミの研修旅行でロサンゼルスに行きました。費用は自分持ちでしたが、ロスで企業訪問をさせてもらい、ここでいつか何年か暮らしてみたいなと感じました。でも就活が始まってしまい、留学を考えるのはしばらく頓挫してしまい、その後1ヶ月間インドに短期留学もしましたが、長期の留学はできないまま社会人になりました。

 

社会人1,2年目はまたあっという間に過ぎてしまいましたが、3年目くらいに「あ、まずい、留学するなら今が最後だな」って思い始めたんです。年齢や、結婚・出産のことも考えると今行かないと、と思い、留学のための英語の勉強を始め、アプライして留学に至りました。

 

かい:学生時代に留学したいと思った気持ちをあきらめず、25歳くらいでやっぱり留学しようって思ったきっかけって何かあったんですか?社会人になったら忙しくなっちゃうし、周りにも同じような人は少ないだろうから、相当な思いがないと、留学に踏み切れないかなと思って。

 

 

なつこ:確かに、社会人で留学しようと思ったときは孤独だった。でも、大学時代に受講していたTOEFL講座の講師だった方と意気投合し、講座が終わったあともずっと仲良くさせてもらっていたこともあって、本格的に留学したいと思ったときにその方に相談したんです。

 

なんでこのタイミングで留学を本気で検討し始めたかというと、3年くらい経って一通りの仕事を経験して1人で仕事を回せるようになって、働き始めた時の目標だったお客さんから指名というのが実現して、コンサルの仕事は一旦やりきった感があったのだと思います。そこで次のステップで何かしたいなというのもあって、長く考えていた留学を実現させるタイミングかなと思いました。

 

ちひろ:留学することに怖さとかはなかったの?社会人になってから留学するってことは、職がなくなるとか失うものも大きいから。

 

なつこ:それでいうと、会社を辞めることになるのでまずは社内のメンターに相談したときに、「リスクしかないぞ」って一蹴されたんです。まずは抱えているリスクを全部洗い出せって言われて、その時ノートに書いたんです。例えば、帰ってきたときに再就職できないかもしれない、とか結婚できないかもしれない、とか最悪テロに巻き込まれて死ぬかも、とか考えうるリスクをすべて考えて書き出しました。

 

でも、全てのリスクを理解したうえでも、やっぱり留学したいと思えたので、そのことをメンターに伝えました。その後上司に話したときも「お前馬鹿だな」って(笑)順調にキャリアもつめているのに、今辞めてキャリアや人生がどうなるか見えない中でその決断をするって。会社としては人材流出を防ぐために引き留めなければならなかったのでしょうが、愛情あっての言葉で最終的には「がんばってこい」って応援してくれました。

 

今思えば、リスクを書き出してはみたもののあまり深くは考えていなくて、なんとかなるだろうと思っていました(笑)生活水準を落とせば食いぶちがなくなることはないし、テロに巻き込まれたらそれは運命だし…でもそうやって「えいや」で会社を辞めたことが結果的にはよかったと思います。

 

あや:周りに相談できる人はいなかったの?

 

なつこ:さっき話したTOEFL講座の講師がいてくれたことはすごく助けになりました。私が大学時代から留学に行きたいと思っていたことを知っているので、よく相談に乗ってくれました。あとは、会社の同期が2人MBAに行きたいと思っていたので、3人でTOEFL頑張って、出願頑張って、と助け合っていました。TOEFLの点数が出ないときも3人で慰め合いながら前に進んで、結果的に他の2人もMBAに行けました。

 

情報が何もなかったのはつらかったです。社内公募で先輩が行っている、というわけではなかったので、先輩情報もないですし。逆に情報が全くないことで、大学ランキングを見るところから始めて、何かに惑わされることもなくあまり考えずに留学準備を進められた部分もあったかもしれません。大学時代のロサンゼルス研修で、当時UCLAに留学されていた方のお話を伺いすごく憧れたので、場所としてはロスに行きたいというのもあったと思います。

 

かい:アメリカの大学院のあとの目標みたいなものは何かあったんですか?

 

なつこ:いや、あまり考えてなかった(笑)だから、志望理由を書くのは苦労しました。きっと海外に行ったら自分は何かを思うだろう、そうしたら何か次のステップが見つかるはずだと思っていました。

 

あや:たぶんそう思えたのは、高校生のときの中国の経験があったからなんだろうね。

 

なつこ:そうかもしれない。私がこんな感じだったから、会社の上司もメンターもはじめは反対したんだろうけど、なんとかなると思ってたかな。

 

かい:社内で留学する道はなかったんですか?

 

なつこ:あるにはあるんだけど、到達するのに10年くらいかかる上の役職でないと行けなかったんです。海外駐在でトレイニーで1年間海外に行ける制度はあったのですが、駐在は何か違うなと思っていたのと、駐在先はアジア圏しかなかったので、当時はあまり興味がなかったんですよね。あとは、転職して転職先から海外に行かせてもらう道も考えましたが、今は企業派遣も減っているし、転職してすぐに行けるわけでもないし。私費留学意外に道はなかったんです。

 

さとし:タイムリミットをすごく意識して行動しているよね。

 

なつこ:そう…でも今思うとあまり関係なかったかな(笑)

 

一同:爆笑

 

なつこ:でも結果的には、早く気づいて早く出たのはよかったと思います。もっと会社に勤めてから辞めるとなったら、それこそ重い腰が上がらなかったかもしれない。

 

孤独に留学準備している人を助けたい。留学は踏み出す一歩を手伝いたい。(なつこ)

なつこ:あやちゃんとちひろちゃんが留学関係のアンケートを取っていることは聞いていて、何か手伝えないかなと思ってたんです。私は、孤独で情報がなかったのが大変だったけど、一歩さえ踏み出せばなんとかなるということもわかっていたので、その一歩を踏み出すお手伝いができないかなと。

 

編集後記

この活動を一緒にやってきて思いをともにする仲間たちだけど、そのバックグラウンドや原体験は驚くほど違っていてあっという間に時間が過ぎていきました。次回はどんなエピソードが飛び出すか、楽しみにしていただけたら嬉しいです。