子育てと仕事の合間を縫ってのPhD留学準備!自分がどこまでできるか試したかった。

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基本情報

名前:田中耕一(たなか こういち)

所属(現):カリフォルニア大学ロサンゼルス校 材料科学・材料工学科博士課程

最終学位:修士(工学)

年齢:36歳

性別:

 

経歴

2002年4月:東京工業大学無機材料工学科 入学

2006年3月:東京工業大学無機材料工学科 卒業

2006年4月:東京工業大学材料工学専攻 修士課程 入学

2008年3月:東京工業大学材料工学専攻 修士課程 卒業

2008年4月:三菱マテリアル 入社 (中央研究所)

2011年 : 結婚

2012年 :長女誕生

2016年6月:次女誕生

2016年7月:三菱マテリアル 退社

2016年9月:カリフォルニア大学ロサンゼルス校 博士課程 入学

 

インタビュー

留学に至った経緯 ー世界で自分を試してみたかったー

会社をやめてまで、アメリカの博士課程に留学したきっかけは何ですか?

前の会社で、PVD(Physical Vapor Deposition)というコーティング技術でドリル表面に薄膜をつける研究をしていました。当時、そのPVDってサイエンス的にわかっていないよねという話がありまして。会社として、どうパラメーターを変えたら良い薄膜が作れるかというノウハウはあったのですが、それがなぜかはわかっていなくて、ブラックボックスになっていました。

 

そこで、PVDにつかうプラズマを研究することになり、会社の海外派遣制度を使って、アメリカのローレンスバークレー研究所に2014年4月から1年間、プラズマの研究をしている先生の下で研究留学させてもらいました。

 

その1年間、色んな人に会いました。カリフォルニア大学バークレー校で博士課程に所属する日本人や、ビジネススクール助教をしている人など。そういう人たちをみていたら、世界の色んな所から人が集まるアメリカにまた戻ってきて、自分がどこまでできるか試してみたくなりました。2015年に会社に戻ってきたのですが、やはりどこか煮え切らない思いというか、仕事にあまり身が入らないことに気付いてしまいました。仕事をしながら入学準備を進めて、ダメだったら海外は諦めて、国内の大学で社会人博士を目指そうと。

 

会社からしたらふざけんなって感じですけどね(笑)会社を辞めるとき、かなり慰留はありました。ただ、競合他社に行くわけでもなく、純粋に勉強と研究をしたくて留学するので、最後は快く背中を押してくれました。

 

出願先の大学院選び ー自分のバックグラウンドを伸ばす最後のチャンスー

出願する大学院はどうやって選びましたか?

留学先はカリフォルニアにほぼ決めていました。バークレーにいたときの気候も好きでしたし、立ち回り方をある程度知っているという利点もありました。

自分のキャリアのなかで、博士課程での留学がバックグラウンドを伸ばせる最後の機会だったので、それができる場所を選ぶようにしました。

 

会社では真空系での薄膜の蒸着をしていたのですが、真空ってコストパフォーマンスが悪く、エネルギーが非常にかかるんですね。なので、真空のいらない大気圧プラズマをやっている研究室を探していました。スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校にも出願しましたが、大気圧プラズマ関連の研究室を狙っていました。

 

が、声をかけてくれた研究室(今の所属先)は、超高真空っていう真逆のところだったんです(笑)その研究室は、前の会社でやっていた機械系の材料(金属窒化物や炭化物)のみでなく、分野問わず色んな薄膜を作っていました。半導体材料や2次元材料として注目を浴びているhBNやグラフェン、MoS2などのカルコゲナイドもやっています。大気圧でこそありませんが、ここでなら新しく学ぶことも多くあるだろうと思い、今の研究室に決めました。(追記:真空装置から離れることをぼちぼち諦め始めています。。。泣)

 

留学準備 -家族、仕事、勉強の両立ー

会社で働きながらの留学準備はどうでしたか?

時間の捻出が一番大変でした。受験時は長女がいたので、平日は子供が寝た後午後9時から勉強を始めていました。週末は、日曜日の午後だけ勉強に使っていいみたいなルールができまして。その時間でGRETOEFLの勉強をしましたね。(追記:コロナ騒動の今(2020年3月)、まったく同じ生活サイクルで昼は子守り、夜中に博士論文を書いています。。。眠い!)

 

TOEFLバークレー留学前に受けた時の70点から、最終的には96点になりました。 実は96点は出願締め切り後に取りました(笑)2月の末とかだったと思います。合否が出ていようが出ていまいが、とりあえずスコアを送りつけました。出願前の点数は93点でした。正直、TOEFLGREの対策は間に合わなかった感じです。

 

周りに受験しようとした人はいましたか?情報集めはどうしましたか?

周りに同じような境遇の人はいなかったですね。情報はネットで探して、いろんなブログを見ました。社会人向けのものはさすがにありませんでした。

 

推薦状は誰に書いてもらいましたか?企業に務めている人は、上司から推薦状をもらいづらいと聞くのですが。

奨学金は、大学時代の教授2人と、ローレンスバークレー研究所でのアドバイザーからもらいました。今の研究室のボスが博士学生のときのアドバイザーが、そのバークレーの先生と非常に仲のいい人だったので、アカデミックファミリーから推薦してもらった感じですね。

 

留学について家族はどう反応しましたか?

家族はノリノリでした(笑)パークレーから帰ってきた時点で、アメリカの博士課程を受験しようかなと話をしていて、妻はいいんじゃない、カリフォルニア好きだし、と言っていました。英語ペラペラってわけではないけれども、バークレーに一緒に滞在していた時に外国人の友達もできていましたし、楽しんでいたと思います。基本的に外国が好きなんだと思います。

ですが、合格したって話をしたときは「え、本気で言ってんの?」と言われました(笑)応援していたけどぶっちゃけ受からないと思われていたらしいです。 妻は妻で今も楽しくやっています。

両親には合格後に話しました。仕事辞めると話したら「全然いいよ」と。大学院に行きますと言ったら「それもまあいい」と。「どこの大学院に行くの?東工大?」と聞かれて、いやカリフォルアへ行きますと言った途端「はあああ!?」と。ただ、特に反対されたわけではありませんでした。自分がいなくなることよりも、孫がいなくなることが残念だったらしく、それは今でも本当に申し訳ないと思っています。

 

留学生活について -企業勤務経験ありでも、学ぶことが多い博士課程生活ー

留学先での授業はどうですか?

授業は聞いていたほど大変でもなかったです。マスターをとっていたので、必要単位数が12単位分少なく、他の人よりも授業をとる数が少なくてすみました。他の人のように1学期につき3コースでとかを取る必要はなく、あまり無理せず、2つの授業を毎学期取っていました。

 

授業はすごいよくできてるなと思いました。卒業後のためにGPAをキープしないといけないという、ほどほどのプレッシャーがありました。日本での大学時代みたいに60点でいいやってのはなく、必然的に勉強に身が入りました。さらに内容も良かったです。修士卒の社会人からの留学でもかなり勉強になりました。おそらく、英語という別の言語で学び直したので、知識体系を再構築できたんだと思います。

 

意外だったのは、サイエンス系の授業って英語の方が理解しやすいと感じたことですね。少なくともテキストとかを読んでいて、文法からくる主従関係みたいなのが、日本語よりも英語のほうがわかりやすかったです。

 

Qualification exam(博士研究を続けられるかを判断する中間試験)はどうでしたか?

1年目の終わりに授業に関した口頭試験を受けて、2年目の終わりに研究のプレゼンがありました。最初の試験は大変でしたね。相当勉強したと思います。今振り返ると物凄く良い勉強にはなりました。だけどもう二度と受けたくないですね。 

 

二つ目も大変でしたが、自分でやってきたことをまとめて、プレゼンの練習をすればよかっただけだったから、まだ楽でした。

 

留学中に大変だったことはありますか?

TAは大変でしたが、とても楽しかったです。 思ったより学生がみんな話を聞いてくれます。日本からこっちの大学院に来て、やっぱりUCLAの学部生はすごいのかな(なめられたりしないかな。。。)と思っていたのですが、意外とみんな知らないというか、ちゃんとこちらがリードして教えることが出来ました。言語の壁もかなり感じましたし、時々心が折れそうにもなりましたが、振り返ってみて、自分の説明を理解してもらえる楽しさはいつも感じていました。

 

留学してよかったことを教えてください

アメリカの博士課程の恵まれているのは学費がかからないところですね。もし学費がかかってたら、家族もいるのでもう家計が破綻しています。

 

また、今の研究室では、割と自由気ままにというか、やりたいことが比較的自由にできます。プレッシャーは多少ありますが。 例えば、日本の大学にいたときより、分析へのハードルが少ないですね。日本にいたときは、分析をやりたくてもすぐにはやらせてくれないし、このサンプルの何をなぜ調べたいか細かく説明する必要がありました(特にTEMなど)。今も無駄な分析はしないように気を付けてしますが、気を使わずに自分の判断で実験や分析が進められるようになりました。

 

研究以外でよかったことはありましたか?

いろんな日本人に会えたことかなと思います。 キャリアとは関係ないかもしれないですが。日本で働いていたら絶対会えない人たちがいっぱいいました。弁護士の先生、お医者さん、官公庁の方とか。

 

家族とはどう過ごしていますか?

大学院1年目は単身赴任でした。私が渡米したときに、妻は育休を取っており、育休から一年は会社に残って働きたかったようです。妻は私が入学した次の年に会社をやめて渡米しました。なので、最初の年は学期の休みごとに一時帰国していました。

 

その後本格的に合流してから、上の子は現地の小学校、下の子はデイケアに通っています。上の子は今年から日本語補習校に行きます。日本語補習校に入学するのに、子供だけの面接もありました。日本語が話せないハーフの子とか、先生の指示が理解できない子供は落ちるとかもあるらしいですね。学力テストではないので、コミュニケーションができれば大丈夫です。

 

家族を持っている人の留学についてアドバイスはありますか?

会社員の人でアメリカに来たいという人がもしいれば、気にした方がいいのは「子供がこっちに適応できるか」ということかもしれません。最初は少ししんどいかもしれないですね。でも、子供の成長や順応力ってすごいので最終的には大丈夫だとは思いますが。

 

ただ、小学校中学年とか、ある程度日本語の環境で育った子がアメリカに来たときにスムーズに合流できるかについては、若干ハードルが上がるかも知れません。 上の子は企業派遣のときのバークレーにも一緒に行っていたから、そこで慣れていたのもあったと思います。子供のことも研究も、と大変ですが、卒業まであと1年間半頑張ろうと思っています。 

 

卒業後の進路 -アメリカのアカデミアに残るー

卒業後の進路について今の考えを教えてもらえますか?

アメリカでアカデミアに残りたいと思っています。気にしているのは子育てですね。最初は「アメリカにいれば子供も英語を喋れるしいいじゃないか」と思っていましたが、こっち来てみるとやはり不安なところもありまして・・・。上の子は日本語が喋れますが、下の子は英語の方が多いです。上の子は今は6歳、下の子は1歳くらいでアメリカ来て今3歳ですね。単純にバイリンガルだからいいのかって言われると、そうでもないなぁと。日本語の語学力の面ではやはり不足があり、それに、将来的に日本にもし戻りたいとなったときに、日本独特の文化というかそういう適応しづらい部分があるだろうなと思います。それでも、アメリカの方が、日本よりは得るものは多いのかなと前向きに考えています。

 

将来、日本に戻るつもりはないんですか?

日本はあまり考えていないというか、戻るにはまだ早いと思っています。やっぱり年功序列の風土があるので、そのシステムの中で何かできる立場になってから行くのがいいだろうと。それまでは海外で挑戦した方がチャンスがあるかなと思っています。

最終的に日本に戻るかどうかはどっちでもいいです。子供が日本にいたら、帰りたいと思います。

 

アカデミアに残るためにいましていることはありますか?

自分の場合はネットワークづくりですね。年に2,3回は学会に行って、できるだけ色んな人に会っています。指導教員は学会へ行きたいといえばいくらでも行かせてくれます。あとはプロポーザルを書く練習がまだまだ必要だと思います。英語面でかなり不利な部分があるので、これはとにかく練習ですね。

 

編集後記

家族がいるなかでの留学や、企業を辞めてからの留学は、私が経験した修士卒業後の留学とは違った視点や大変さがあり、話を聞いていて新鮮でした。淡々と綴ってはいますが、社会人からの大学院留学の情報はなく、周りに同じ目標を志す人がいない中で、会社と子育ての両方をしながらの受験準備は信念がないとできないものだと思います。辞職し、家族と一緒に日本を離れるリスクを背負ってでも、世界で自分を試してみたいという純粋な気持ちに対し行動できる姿は素敵だと思いました。